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 かなざわ百万石ねっとかなざわ・あれこれ金沢市のオープンデータ「用水」の標柱

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 ■ 「用水」の標柱
 金沢市提供のオープンデータ〔用水・字地・街道標柱一覧〕を利用しています。
市内を流れる用水の名前の由来を説明した標柱が立てられています。

金沢市公式>…>歴史遺産保存の取り組み>用水・字地・街道一覧
datafile〔shisetsu_yousui_azachi_kaidou.csv〕 update〔平成31年1月16日〕

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No. 名称住所電話 
 「泉用水」の標柱〒921-8024白菊町6?5先 
 よみがな:いづみようすい
 由来説明文:藩政初期からある農業用水で犀川から取水し、旧石川郡米丸村増泉、三馬村泉、同西泉の田畑をうるおしていた。本支流とも細かく枝分かれして今も町中を流れている。
 「旧東内惣構堀」の標柱〒920-0932小将町1?15先 
 よみがな:ひがしうちそうがまえぼり
 由来説明文:金沢城防備のため、二代藩主利長が慶長4年に高山右近に命じて掘らせた東側の内堀である。旧小尻谷町から始まり橋場町を経て浅野川まで長さ約1,300メートル、城側に土居を盛り竹藪を配していたが、今はその面影は殆どない。
 「鞍月用水」の標柱〒920-0865長町1?10?35先 
 よみがな:くらつきようすい
 由来説明文:犀川の上菊橋上流右岸から取水する用水で、藩政初期に改修されたという。一部区間は金沢城の外堀に利用され、精米、製油などの水車をまわし、灌漑用水に使われた。鞍月地区を通ったのでこの名がついた。倉月用水とも書かれ、上流は玄蕃川、源兵衛川の別名もあった。
 「旧東外惣構堀」の標柱〒920-0911橋場町6?1先 
 よみがな:ひがしそとそうがまえぼり
 由来説明文:慶長15年、三代藩主利常が篠原出羽守一孝に命じて掘らせた金沢城の外堀で、城の東側にある。八坂から始まり材木町を経て浅野川まで、長さ約1,400メートル、城側に土居を盛り、竹藪を配していた。
 「旧西内惣構堀」の標柱〒920-0902尾張町2?6?22 
 よみがな:にしうちそうがまえぼり
 由来説明文:金沢城防備のため、二代藩主利長が慶長4年に高山右近に命じて掘らせた西側の内堀である。旧上松原町から始まり尾張町2丁目を経て浅野川まで約1,600メートル、城側に土居を盛り、竹藪を配していたが、今はその面影は殆どない。
 「勘太郎川」の標柱〒920-0967菊川2?25?12 
 よみがな:かんたろうがわ
 由来説明文:辰巳用水の分流で、かつて石引町地内に勘太郎という人物が住んでいたことからこの名がついたといわれるが定かではない。旧百姓町などでは、製糸、製粉などの水車をまわしていた。
 「寺津用水」の標柱〒920-1301永安町6先 
 よみがな:てらつようすい
 由来説明文:寛文5年、藩命により完成されたといわれる用水で、犀川最上流に位置し、末町・土清水辺りの台地を灌漑していた。今は水力発電や、上水道としても利用されている。
 「長坂用水」の標柱〒921-8112長坂3?1521先 
 よみがな:ながさかようすい
 由来説明文:寛文11年、藩命により完成されたといわれる用水で、犀川支流の内川から取水し、旧泉野村など寺町台地一帯を灌漑していた。この用水の完成により、旧泉野村での米作が可能になったといわれる。
 「中村高畠用水」の標柱〒921-8024白菊町13?30 
 よみがな:なかむらたかばたけようすい
 由来説明文:藩政初期からある農業用水で犀川から取水して旧石川郡米丸村中、同高畠などに灌漑していたが、大正7年二つの水路が合併され、水門が一つになった。
 「旭用水」の標柱〒920-0941旭町3?1?25先 
 よみがな:あさひようすい
 由来説明文:浅野川左岸から取水している唯一の用水で、旭町に通じているのでこの名がついた。かつては一帯が牛坂村だったことから牛坂用水の別名もあった。
 「金浦用水」の標柱〒920-1152田上2?160先 
 よみがな:かねうらようすい
 由来説明文:藩政期からある用水で浅野川から取水し、旧金浦郷と呼ばれた地域一帯を潤していたことからこの名がついた。
 「小橋用水」の標柱〒920-0842元町2?146 
 よみがな:こばしようすい
 由来説明文:元禄年間、城下町の防衛などの目的で築造された用水で、旧水車町では、精米、製油などの水車をまわしていた。かつては、小橋上流付近に、竹製の蛇籠に石を詰めて造られた瀬木が設けられていた。
 「中島用水」の標柱〒920-0846昌永町10?23先 
 よみがな:なかじまようすい
 由来説明文:元禄11年、藩命により完成されたといわれる用水で、かつては旧中島町の浅野川岸から取水していたのでこの名がついた。
 「辰巳用水」の標柱〒920-0938飛梅町3?31 
 よみがな:たつみようすい
 由来説明文:金沢城水の不足を補うため寛永9年、藩命により板屋兵四郎が完成したといわれる用水で、犀川上流上辰巳村から取水し、金沢城二の丸に導水、城下に流した。後取入口が変わり、兼六園の曲水などにも用いられている。この付近の地下にも水管がある。
 「旧西外惣構堀」の標柱〒920-0962広坂1?1?1 
 よみがな:にしそとそうがまえぼり
 由来説明文:慶長15年、三代藩主利常が篠原出羽守一孝に命じて掘らせた金沢城の外堀で、城の西側にある。本多町3丁目から始まり香林坊、長町に進み鞍月用水と共用され、升形を経て浅野川まで、長さ約2,800メートル、城側に土居を盛り、竹藪を配していた。
 「大野庄用水」の標柱〒920-0865長町1?3?32先 
 よみがな:おおのしょうようすい
 由来説明文:藩政期からある用水で、犀川から取水し、旧石川郡大野庄の灌漑、物資運搬、市街地の防火防ぎょ、融雪などのための多目的用水で、御荷川、鬼川、オホノヒ川の別名があり、下流は木曳川という。今も庭に「やり水」するなど、城下町に景趣をそえている。

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