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 かなざわ百万石ねっとかなざわ・あれこれ金沢市のオープンデータ「街道・字地」の標柱

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 ■ 「街道・字地」の標柱
 金沢市提供のオープンデータ〔用水・字地・街道標柱一覧〕を利用しています。
名前の由来を説明した標柱が立てられています。
[桃色の旗]は、字地の標柱
[茶色の旗]は、街道の標柱

金沢市公式>…>歴史遺産保存の取り組み>用水・字地・街道一覧
datafile〔shisetsu_yousui_azachi_kaidou.csv〕 update〔平成31年1月16日〕

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No. 名称住所電話 
 「旧北国街道」の標柱〒920-0818大樋町3番11号先 
 よみがな:ほっこくかいどう
 由来説明文:古代には北陸道(ほくろくどう)と呼ばれ、日本海側の主要道路であった。加賀藩主の参勤・交代では、ほとんどこの道を通行した。
 「旧北国街道」の標柱〒920-0033春日町9?6 
 よみがな:ほっこくかいどう
 由来説明文:古代には北陸道(ほくろくどう)と呼ばれ、日本海側の主要道路であった。加賀藩主の参勤・交代では、ほとんどこの道を通行した。
 「旧北国街道」の標柱〒920-0816山の上町32番8号先 
 よみがな:ほっこくかいどう
 由来説明文:古代には北陸道(ほくろくどう)と呼ばれ、日本海側の主要道路であった。加賀藩主の参勤・交代では、ほとんどこの道を通行した。
 「旧北国街道」の標柱〒920-0909袋町2番15号先 
 よみがな:ほっこくかいどう
 由来説明文:古代には北陸道(ほくろくどう)と呼ばれ、日本海側の主要街道であった。藩政時代、この町から尾張町へ出る通りが主要道となっており交通の要衝であった。
 「旧北国街道」の標柱〒921-8041泉2丁目21番6号先  国造神社敷地内 
 よみがな:ほっこくかいどう
 由来説明文:古代には北陸道(ほくろくどう)と呼ばれ、日本海側の主要道路であった。京都・大阪方面に通じる主要街道で藩の役人や多くの旅人が利用した。
 「六斗の広見」の標柱〒921-8033寺町5?6?38先 
 よみがな:ろくとのひろみ
 由来説明文:広見というのは藩政時代、延焼を防ぎ大火としないための町づくりの一つとして設けられたものであり、金沢のあちこちにあった。地名は、加賀国住人林六郎光明の郎等六動太郎光景に由来し、ここから六動林、六斗になったといわれている。
 「堀川揚場」の標柱〒920-0845瓢箪町10?12先 
 よみがな:ほりかわあげば
 由来説明文:加賀藩時代から大正初期まで、浅野川を川舟で運んできた物資を荷揚げした場所だったのでこの名で呼ばれた。
 「関助馬場」の標柱〒920-0831東山3?18?17 
 よみがな:せきすけばば
 由来説明文:加賀藩初期、佐賀関助が開いた長さ約300メートル、幅約24メートルの藩士の調馬場があったのでそれを地名にした。
 「川御亭」の標柱〒920-0967菊川2?23?12 
 よみがな:かわおちん
 由来説明文:藩政時代、付近に加賀藩の老臣本多安房守の御亭があり、近くに鞍月用水が流れていたことから川御亭と呼ばれたという。明治4年、この辺りは上本多町川御亭という町名になった。
 「堂形前」の標柱〒920-0962広坂2?1?1 
 よみがな:どうがたまえ
 由来説明文:加賀藩初期、京都の三十三間堂の「通し矢」を模した練習場があり、これを堂形と呼んだ。のち、そこに米倉が建てられた。
 「香林坊」の標柱〒920-0981片町1?18 
 よみがな:こうりんぼう
 由来説明文:加賀藩初期、叡山の僧、香林坊が還俗して向田兵衛の婿となり目薬屋を営んでいたのが地名の起りである。北陸道の要しょうで城の外かくの惣構門があり、番人が夜間通行の取締りをしていた。
 「賢坂辻」の標柱〒920-0927扇町15?1先 
 よみがな:けんさかつじ
 由来説明文:久保市乙剣宮と椿原神社の氏子の地境であり、また丘陵地の先端でもあることから昔は剱先が辻と呼んだが、明治4年、賢坂辻と改めた。
 「懸作」の標柱〒920-0902尾張町4?11 
 よみがな:かけづくり
 由来説明文:加賀藩初期から上期にかけて、この土地で掛作の仮屋を設けて商売をするものがいたのでこの名で呼ばれ、その後橋場町になった。
 「武蔵辻」の標柱〒920-0855武蔵町15?1先 
 よみがな:むさしがつじ
 由来説明文:加賀藩時代に藩の重臣、中川武蔵守の屋敷が付近にあったことや、また、家柄町人の武蔵庄兵衛や矢師の武蔵が住んでいたことなどからこの名で呼ばれており、藩政のはじめから交通、商業の要しょうである。
 「升形」の標柱〒920-0853本町1-1-2 
 よみがな:ますがた
 由来説明文:加賀藩時代、宮腰口の要しょうで、門と堀と石垣などが配された升形があった。升形はほかにもあったが、ここだけが地名となっている。
 「旧古道木揚場」の標柱〒920-0035中橋町88?1先 
 よみがな:ふるみちきあげば
 由来説明文:藩政時代、宮腰(金石)から船で材木を運搬し、陸揚げしたところなのでこの名がついた。三社揚場ともいった。

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