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 かなざわ百万石ねっとかなざわ・あれこれ金沢市のオープンデータ「坂道」の標柱

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 ■ 「坂道」の標柱
 金沢市提供のオープンデータ〔坂道標柱一覧〕を利用しています。
「坂道」の標柱。
金沢市内には、坂の名前の由来を説明した標柱が立てられています。

金沢市公式>…>歴史遺産保存の取り組み>坂道標柱一覧
datafile〔shisetsu_sakamichihyochu.csv〕 update〔平成31年1月16日〕

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No. 名称住所電話 
 「不老坂(ふろうさか)」の標柱〒921-8106十一屋町2-27 
 細く急な坂道であったが、明治の中ごろ上菊橋とつながり、のち拡張整備され縁起の良いこの名がつけられたという。近くに風呂屋があり、不老長寿によいというので、この名で呼ばれたともいう。
 「鶴間坂(つるまざか)」の標柱〒920-0942小立野5丁目 
 坂の上からの眺望がよく、加賀藩時代から詩歌を好む人が訪れ、ここを鶴舞谷と称していたのでこの名がついた。
 「嫁坂(よめざか)」の標柱〒920-0935石引4-8-1先 
 加賀藩初期、坂の上に住んでいた藩の重臣、篠原出羽守が、娘を本庄主馬へ嫁がせる時つけた坂なのでこの名がついた。
 「大乗寺坂(だいじょうじざか)」の標柱〒920-0964本多町2-7-11 
 慶長から元禄年間に曹洞宗の古寺、大乗寺が坂下にあったのでこの名で呼ばれている。同寺はのち長坂へ移転した。
 「天神坂(てんじんざか)」の標柱〒920-0925天神町1-4 
 椿原神社の旧社名、田井天神の横にあるのでこの名で呼ばれている。昔、坂の上部は三つに分かれていた。
 「木曽坂(きそざか)」の標柱〒920-0933東兼六町17先 
 木曽の山中のような幽すいな所なのでこの名がついた。その一部は宝円寺の裏門の坂なので裏門坂ともいわれていた。
 「馬坂(うまざか)」の標柱〒920-0927扇町5-21先 
 昔、田井村の農民が小立野へ草刈りに行くため、馬をひいて登ったのでこの名がついた。六曲り坂ともいわれていた。
 「八坂(はっさか)」の標柱〒920-0933東兼六町2-37先 
 昔、付近に木こりが通う八つの坂があったのでこの名がついた。のち、一つが残り、宝憧寺坂、伊予殿坂とも呼ばれた。
 「広坂(ひろさか)」の標柱〒920-0963出羽町1-1先 
 坂道の幅が広いのでこの名で呼ばれているが、加賀藩時代から明治中期頃までは安房殿坂、作事坂ともいわれていた。
 「小尻谷坂(こじりたにざか)」の標柱〒920-0933東兼六町1-11先 
 藩政期の中ごろ尻谷坂(汁谷坂・尻垂坂等)より小さいところから、この名がついたといわれている。
 「紺屋坂(こんやざか)」の標柱〒920-0936兼六町2-1 
 加賀藩初期に藩の御用染商、館紺屋孫十郎が坂の付近に住んでいたので、この名がついた。
 「長良坂(ながらざか)」の標柱〒921-8033寺町1-8-53先 
 旧長良町へ上がるのでこの名がついた。犀川のがけふちにあり、川風が吹き上げてくるので、吹上とも呼ばれていた。
 「甚右衛門坂(じんえもんざか)」の標柱〒920-0937丸の内71 
 天正八年佐久間盛政の攻撃をうけたとき、本願寺方の浪士、平野甚右衛門が奮戦、討死した坂なのでこの名がついた。
 「大瀧坂(おおたきざか)」の標柱〒920-0952錦町ミ13-1-2先 
 かつてこの坂の脇には、辰巳用水から台地下の田畑を潤す流れが、大きな滝のように流れ落ちていたことから、この名がついた。
 「帰厚坂(きこうざか)」の標柱〒920-0834常盤町72先 
 加賀藩主、前田慶寧が慶応3年卯辰山を開拓したときの坂で、「藩主の厚き徳に帰する」の意味から名づけられた。
 「観音坂(かんのんざか)」の標柱〒920-0831東山1-33-11先 
 観音院の門前の坂で、加賀藩初期、同院の参道として作られた。明治42年北側に新しい坂路ができた。
 「子来坂(こぎざか)」の標柱〒920-0831東山1-30-8 
 慶応3年卯辰山が開拓された時、作業に出た住民多数が子供が来るようににぎやかに登ったのでこの名がついた。今はこらい坂と呼んでいる。
 「暗がり坂(くらがりざか)」の標柱〒920-0908主計町3-15先 
 久保市乙剣宮より主計町に通じる小路を指し、日中も日の当たらない暗い坂道なので、この名で呼ばれている。暗闇坂ともいう。
 「桜坂(さくらざか)」の標柱〒921-8032清川町桜橋先 
 慶応元年に作られ、明治25年改修された。城からの眺めをよくするため、加賀藩時代、坂の上に桜が多く植えられたのでこの名で呼ばれた。
 「石伐坂(いしきりざか)」の標柱〒921-8032清川町桜橋先 
 藩政時代から坂の上に職人町があった。清立寺坂、吹屋坂、くの字坂とも呼ばれ、現在はW坂という。
 「蛤坂(はまぐりざか)」の標柱〒921-8033寺町5-1-40先 
 加賀藩前期に妙慶寺坂といったが、享保18年の火災後、蛤が口を開いたようになったのでこの名がついた。
 「御参詣坂(ごさんけいざか)」の標柱〒921-8101法島町17-24先 
 藩政時代、法島村から祇陀寺の向こうへ至る坂と、今一つ崖の下から桃雲寺手前の野田往来へ至る坂をこう呼んだ。野田山墓地に参詣することからこの名がついた。
 「善光寺坂(ぜんこうじざか)」の標柱〒920-0942小立野3-7-1先 
 昔この付近に善光寺という寺があったのでこの名で呼ばれている。
 「亀坂(がめざか)」の標柱〒920-0942小立野3-3-1先 
 加賀藩初期、この付近は深い谷であったが、戸室石をはこぶため埋めて次第に坂の勾配をゆるくした。がめ坂の名の由来は明らかでない。
 「新坂(しんさか)」の標柱〒920-0935石引2-26-8先 
 加賀藩前期、嫁坂のあとにできたのでこの名がついた。昔は、小立野新坂、笠舞新坂ともよばれた。

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