真宗大谷派(東本願寺)吉崎別院
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住 所
| 福井県あわら市吉崎1-301
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説 明
| 吉崎は、本願寺第8代法主で真宗中興の祖といわれる蓮如上人が、比叡山などの迫害を受けて京都を逃れ、北陸布教の根拠地として吉崎山に坊舎を開いた地です。
蓮如上人は、吉崎滞在中重要な教義や業績を残し、御文(御文書)を通し解りやすく教えを説いたので、北陸各地はもとより東北などからも徳を慕う多数の信徒が集まり、後の「真宗王国」の基礎が築かれました。
しかし、吉崎の隆盛は新たな騒乱と迫害をまねき、ついには平泉寺僧徒や加賀国主により焼き討ちに合い、炎上してしまいました。
江戸時代になって吉崎に東西両別院が再建されましたが、御坊跡の山上は聖地としてはばかり、各々麓に建造されています。豊臣秀吉寄進とされる「念力門」がある西別院(本願寺派)は延享3年(1746年)、東別院(大谷派)はその翌年の建立です。
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