【千歳台・曲水・日本武尊の像 エリア】
千歳台・曲水・日本武尊の像エリアの説明→徽軫灯籠(ことじ灯篭)のある霞ヶ池よりも、南側(小立野側)にある平坦なエリア。13代藩主・前田斉泰の時代には、「竹沢御殿」が建てられていましたが、その後取り壊され、庭園の一部に組み込まれました。従って、このエリアが庭園になったのは、藩政時代の末期になります。日本武尊の像(西南の役で戦死した郷土軍人の霊を祀り記念するために建てられた銅像)は、1880年(明治13年)に建てられた銅像で、「藩政時代の庭園」とは無関係です。
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